2012/7/14自由であること。【過去の自分の日記】
私は、幸せだったんだと思う。
息子が1年~5年までの校長になった人たちというのは、それなりに人格者でもあったんだと思う。
1年~3年までの校長は、息子の小学校を出ると私の母校の校長になり、今年から教育委員会に行ってる。
私の母校は、江戸時代の寺子屋から歴史がある、 超伝統校。
寺の近くに今も小学校がある。
私と私の姉妹だけでなく、母親も同じ小学校卒業。
息子の小学校も、さいたま市で1、2位を争うマンモス校で、児童は1000人。
そう、いろんな校長がいるが、1~3年までの校長は、さいたま市でもエリートだったんだろう。
中には、退職前の記念に息子の小学校の校長をやるようなお古い考えの方もいる。
今の校長だ。
これまで、未曾有の震災や台風や嵐があったけど、今までの校長は、全て
「保護者の判断。保護者が学校に行かせていいと思えば保護者の責任で登校させ、児童の自主性に任せると共に、学校にいる間は職員が責任を持って行動」
だった。
周りからは、
「明日、台風だから休みだって、仕事は普通にあるのに子どもだけ家にいさせるってどうよ?」
「震度5以上だったら迎えに来いって学校は言うけど、さっきの震度5だったけど別にパニックになってないし、迎えに行くの?」
という相談を持ちかけられ、正直、
「チョーめんどくせー、親も学校もバカだな、学校も親も自分で決められないんじゃん、子供かわいそー」
と思っていた。
決まりを作ったりすることで、学校側も親も
「ちゃんと考えてますよ感」
が漂うが、実際は、学校も親も考えることがなくなるのだ、決まりを作った瞬間に。
何が危険なのか?
何が悪いのか?
どうすればこの状況を打破できるのか?
考えることをしなくなる。
決まり通りに学校、または親が動かなければ、責任の所在を問い始める、問題がずれていく、子供はかやの外。
今の校長になって、くだらん決まりが増えてきた、
例の「震度5以上」とか「台風」とか、親のお迎えの基準をご丁寧に。
なんていうか、そのお手紙を見たときに伝わってきた
「私もこのさいたま市でも有数の有名校でやってやりました感」ったら。
私は幸せだったんだと思う。
親として、5年は、「親として、考えていくことは何か?」を考えさせてくれた校長ばかりだったから、
そこには、責任ある本当の自由が子供にも親にもあったから。
幸せだったんだと思う。
ちなみに息子は、「今までの校長は、夏にマラソンなんかしなかったよ、いくら2学期が忙しくても寒くなってからやってたよ」と、ボヤいていたので、
「手抜きでいいんじゃね?倒れたら意味ねーじゃん、せっかく楽しい夏なのに」
と、氷を多めに水筒に入れて送り出した私。